原案/監督:シェーン・アッカー
プロデューサー:ティム・バートン
製作 : ティムール・ベクマンベトフ
音楽:ダニー・エルフマン
脚本:シェーン・アッカー&パメラ・ペトラー
ギンレイのもう一本。「第9地区」との二本立てを無名つながりといったが、プロデュースはティムバートンで無名なのは監督。監督のシェーン・アッカーが卒業制作でつくった11分間の短編映画を見たティムバートンがぶっ飛んで「これまでの人生で見た映像の中で、最高の11分間だった。」とのたまい、すぐさま抜擢して長編化したらしい。
11月に発売されるDVDにはその短編オリジナル版が入っているらしいので観てみたいものだ。
ティムバートンの味付けもあり、つくりはいわゆるダークファンタジーになっている。画面はどこも汚くないし、ぐろくないけど西洋独特の暗さがあってその味が良い。
話としては、人類に対して機械が氾濫を起こして人が絶滅した世界というよくあるSF設定だが、ある研究室で9体の人形が作られ命を込められていたという設定がおもしろい。人形だから、機械でも無く、外装は麻袋。主人公の「9」にはチャックがついているが中にはなんのカラクリもなさそう。
最後に目覚めた「9」がほかの人形達と一緒に「マシン」と戦い新しい世界を切り開いてゆく・・・ってえ話もなんだか八犬伝やサイボーグ009みたいで、コノ位メンバーが丁度良いAKB48みたいだと収集がつかない。
夫々のキャラ設定も立っていてマッチョ系、保守派因業老人、男前女剣士など活劇テイストを発揮するための成分の分担が適切である。戦いで一体ずつ仲間の犠牲になっていくくだりは薬師丸ひろ子主演のの「新八犬伝」とほんとに良く似ている。その魂がラストで昇天する場面は多分に臭くこっぱずかしいが、この手の大団円には欠かせない要素なのだからしかたない。
新しい才能を見つけて大人が寄ってたかって定番の売れる素を投入し「売れる映画」にしたのだろうがその分映像美も音楽もバランスよくて完成度はかなり高いとおもう。
★★★☆☆
櫻桃庵の猫と亀
櫻桃庵はわが弊屋のことです。小さな庭に植えた苗木がいつの間にか大きくなりました。俳句や本や映画や友達のことなんかをぽつぽつ書く日記です。 2007年から2010年までmixiに引っ越していたため更新できておりませんでしたが、此方も少しずつ書いていきます。
2010年8月29日日曜日
映画 「第9地区」
原題:DISTRICT 9
2009/アメリカ 上映時間111分
監督・脚本:ニール・ブロンカンプ
製作:ピーター・ジャクソン
出演:シャールト・コプリー、デヴィッド・ジェームズ
今ギンレイホールに掛かっている。「9(ナイン)」と9つながりで、無名つながりでCGつながりなんだろうな。ギンレイホールの二本立てのセンスはとっぴ過ぎなくて結構受け入れられる。
二十年前に地球に漂着した宇宙船に海老たいなエイリアンが百万匹位いた。そのエイリアンたちを受け入れて「第9地区」というところに隔離政策を取ったがスラム化し犯罪を犯すようになってきたため第10地区に移転させようということになる。その責任者をとおしてドキュメンタリータッチで変な映画に仕立てている。
設定がカナリ突っ込みどころ満載で宇宙船はなぜ二十年も浮いたままなのか、なぜ誰も操縦できないのか(DVD版ではそれを試すシーンがあるらしいが・・)凄い武器を持っていないのになぜ人間を襲わないのか・・・?
そこらへんのところはドキュメンタリータッチでサッパリと表現しているためにまあありかなあと思う。
寧ろメンインブラックでもエイリアンが地球で暮らしていたし、目新しさは感じられなかった。
設定が南アフリカのヨハネスブルクということで、ちょっとアパルトヘイト政策とかぶり、海老星ニアリーイコール黒人ってことかよと思わせる。そこの所に囚われるともう一つの鑑賞の仕方がありそれはそれで楽しめるかもしれないがとりあえず「設定」ということにする。
単純に笑えるところはエイリアンたちのキャラクター設定。かなりスラムのオッサンとしてたのしめる。猫缶が超人気食材なのにタイヤも食っちゃうし、立ち退きのサインを渋ったりするところは親戚のおじさんの仕草と似ていて困った。
主人公のヴィカスの平凡な生活があることでエイリアンに変態していく過程での人間達の反応が面白い。一番面白いのは表面的な受け答えをしていたヴィカスがどんどん人間くさくなっていくことだ。ラストシーンが切ない。
ちょっと文句をいうとすると逃げるヴィカスと追手の戦闘シーンが長い。あんたらのCGはもう堪能しましたから勘弁してください、という感じに到るには人それぞれの長短があると思うが私は短めのようだ。
★★★★☆
2009/アメリカ 上映時間111分
監督・脚本:ニール・ブロンカンプ
製作:ピーター・ジャクソン
出演:シャールト・コプリー、デヴィッド・ジェームズ
今ギンレイホールに掛かっている。「9(ナイン)」と9つながりで、無名つながりでCGつながりなんだろうな。ギンレイホールの二本立てのセンスはとっぴ過ぎなくて結構受け入れられる。
二十年前に地球に漂着した宇宙船に海老たいなエイリアンが百万匹位いた。そのエイリアンたちを受け入れて「第9地区」というところに隔離政策を取ったがスラム化し犯罪を犯すようになってきたため第10地区に移転させようということになる。その責任者をとおしてドキュメンタリータッチで変な映画に仕立てている。
設定がカナリ突っ込みどころ満載で宇宙船はなぜ二十年も浮いたままなのか、なぜ誰も操縦できないのか(DVD版ではそれを試すシーンがあるらしいが・・)凄い武器を持っていないのになぜ人間を襲わないのか・・・?
そこらへんのところはドキュメンタリータッチでサッパリと表現しているためにまあありかなあと思う。
寧ろメンインブラックでもエイリアンが地球で暮らしていたし、目新しさは感じられなかった。
設定が南アフリカのヨハネスブルクということで、ちょっとアパルトヘイト政策とかぶり、海老星ニアリーイコール黒人ってことかよと思わせる。そこの所に囚われるともう一つの鑑賞の仕方がありそれはそれで楽しめるかもしれないがとりあえず「設定」ということにする。
単純に笑えるところはエイリアンたちのキャラクター設定。かなりスラムのオッサンとしてたのしめる。猫缶が超人気食材なのにタイヤも食っちゃうし、立ち退きのサインを渋ったりするところは親戚のおじさんの仕草と似ていて困った。
主人公のヴィカスの平凡な生活があることでエイリアンに変態していく過程での人間達の反応が面白い。一番面白いのは表面的な受け答えをしていたヴィカスがどんどん人間くさくなっていくことだ。ラストシーンが切ない。
ちょっと文句をいうとすると逃げるヴィカスと追手の戦闘シーンが長い。あんたらのCGはもう堪能しましたから勘弁してください、という感じに到るには人それぞれの長短があると思うが私は短めのようだ。
★★★★☆
2010年8月16日月曜日
2010年8月14日土曜日
映画 「ウディ・アレンの夢と犯罪」 原題:CASSANDRA'S DREAM
『マッチポイント』『タロットカード殺人事件』に続くロンドン3部作の最終章として制作した作品・・らしい。この二作は観ていない。
この邦題はいったいだれがつけたのものか、ドイヒーな題だなあ。
学生の頃から「ウディ・アレンの」と頭につけるのが普通なのかなと思っていたが今回はネタバレすぎるしセンスがないとおもう。
敢えて原題 CASSANDRA'S DREAM を付け加えたが、直訳の「カサンドラの夢」でいいじゃんと思ってしまうのはおいらだけか?
カサンドラというのは劇中では写真の中古ヨットの名前。また買うに到った軍資金を稼がせてくれたドッグレースの犬の名前だ。西洋人にはギリシャ神話の王女の名前としても知られていてウディアレンのことだからそこんとこの隠喩もこめたんだろう。
お話はイギリスの労働者階級の兄弟の話。(以下ネタバレ御免)
それぞれに大小の夢を抱き蹉跌もあり金がほしい、そこにいつも頼りにしている成功者の叔父が帰ってきて資金提供と引き換えにあることを依頼する。
その依頼とは、商売敵の殺人。(ここで少し引いた。
だいたい経験もねえひ弱な甥っ子にそんな大事なコロシをたのむか!)
あとはその実行のプロセスの兄弟の葛藤、実行後の兄弟の罪の意識の差、それによる悲劇の結末・・・・・・という具合に話が進む。
いわゆるギリシャ悲劇的、ロシア文学的悲劇の類型を見せてくれているのだと気付いたが、ちょっとこれは類型的過ぎるんぢゃあねえか。類型がわるいとは言わないがそれを映像美とか演技力とかで補ってなんぼとおもう。今回はあまり褒めるところがない。
あまりに素っ気無いラストの刑事の台詞がいいと思うが、それも意図がわかりすぎる。
終ってみると全体にウティアレンの上から目線が見えてしまう。
ちょっと酷評過ぎるかもしれないが逆にあとの二作を見たくなった。
あとお兄さんのほうがイカレテ殺人を犯すにいたった女優役のヘイリー・アトウェルちゃん。芝居ははベタだけど確かにイカレてしまいたくてよかった。
★★☆☆☆
この邦題はいったいだれがつけたのものか、ドイヒーな題だなあ。
学生の頃から「ウディ・アレンの」と頭につけるのが普通なのかなと思っていたが今回はネタバレすぎるしセンスがないとおもう。
敢えて原題 CASSANDRA'S DREAM を付け加えたが、直訳の「カサンドラの夢」でいいじゃんと思ってしまうのはおいらだけか?
カサンドラというのは劇中では写真の中古ヨットの名前。また買うに到った軍資金を稼がせてくれたドッグレースの犬の名前だ。西洋人にはギリシャ神話の王女の名前としても知られていてウディアレンのことだからそこんとこの隠喩もこめたんだろう。
お話はイギリスの労働者階級の兄弟の話。(以下ネタバレ御免)
それぞれに大小の夢を抱き蹉跌もあり金がほしい、そこにいつも頼りにしている成功者の叔父が帰ってきて資金提供と引き換えにあることを依頼する。
その依頼とは、商売敵の殺人。(ここで少し引いた。
だいたい経験もねえひ弱な甥っ子にそんな大事なコロシをたのむか!)
あとはその実行のプロセスの兄弟の葛藤、実行後の兄弟の罪の意識の差、それによる悲劇の結末・・・・・・という具合に話が進む。
いわゆるギリシャ悲劇的、ロシア文学的悲劇の類型を見せてくれているのだと気付いたが、ちょっとこれは類型的過ぎるんぢゃあねえか。類型がわるいとは言わないがそれを映像美とか演技力とかで補ってなんぼとおもう。今回はあまり褒めるところがない。
あまりに素っ気無いラストの刑事の台詞がいいと思うが、それも意図がわかりすぎる。
終ってみると全体にウティアレンの上から目線が見えてしまう。
ちょっと酷評過ぎるかもしれないが逆にあとの二作を見たくなった。
あとお兄さんのほうがイカレテ殺人を犯すにいたった女優役のヘイリー・アトウェルちゃん。芝居ははベタだけど確かにイカレてしまいたくてよかった。
★★☆☆☆
2010年4月8日木曜日
映画 「息もできない」
暴力をこれでもかというくらい使い倒しているところは北野武系ともいえるが、ストーリーのまわしのイレコ構造が重層的でなんかシェークスピアみたいな感じもうける。
ヤン・イクチュン 製作・監督・脚本・編集・主演ということだが、どれも巧いなあ。主演はどう見ても主人公のキャラにぴったりで安っぽいチンピラの演技に凄みがある。最初に役者としての自分ありきで、製作企画したり脚本書いたのではないか。違う役柄が想像できないのも北野的か・・
家庭内暴力の連鎖というと平板だが、大きなテーマはそのあたりなのだろう。
しかしそんな厄介なテーマをこってり描いてあるがそれがあまり押し付けがましくなく、むしろそのときだけ描写がやさしいタッチになるところは好感。
その点は、一貫して暴力だけで、性描写が一切出てこないところも特筆すべきところ。物語のリアリティを欠く要素にもなっているが、物語そのものを成立させている危うい条件ともいえる。
気になったのは物語後半のまとめ方。ああこんなことなんだろうなあと思ったとおりの「よくある」終わり方になってしまったのがつらい。伏線の置き方が類型的なのだ。
女子高校生役のキム・コッピは日本にはいないタイプの女優と思う。目力があるのに、直線的なラインが少なく、やさしさというか母性のようなものも役柄としてコントロールされている。こんなに早く上手くなってしまうとあとが心配だなあ。
カメラも素敵だ。男にぶん殴られた女の子が、失神から覚めて最初に目に入るのが殴った男で・・・・というのが女の子の視線になっている。
またこんなに暴力的で、町も家も汚い場所ばかり写しているのに画面自体は貧乏くさくない。
ちょっとした手違いでシニア料金で入場できてしまったことはかなりショックだったが、正規料金払ってちっとも惜しくない映画だった。今のところ今年ベストと思った。
★★★★★
<受賞歴>は以下
●ロッテルダム国際映画祭 タイガー・アワード(グランプリ)
●ラス・パルマス国際映画祭 主演男優賞、主演女優賞
●ドーヴィル・アジア映画祭 ゴールデン・ロータス賞(グランプリ)、国際批評家賞
●フリブール国際映画祭 エクスチェンジ賞
●ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭 カトリック映画賞、観客賞
●シンガポール国際映画祭 最優秀演技賞(男優賞)
●バルセロナ・アジア映画祭 ゴールデン・ドリアン賞(グランプリ)
●ニューヨーク・アジア映画祭 新人監督賞●台北映画祭 スペシャル・メンション賞
●カルロヴィヴァリ国際映画祭 NETPAC賞(アジア映画賞)
●ファンタジア国際映画祭 最優秀映画賞、最優秀男優賞
●テキサス=オースティン・ファンタスティック映画祭 観客特別賞、
ニュー・ウェイヴ部門最優秀監督賞
●ウラジオストク国際映画祭 グランプリ、最優秀女優賞
●アジア太平洋映画賞 男優特別賞
●韓国映画評論家協会 国際批評家連盟韓国本部賞
●韓国・大鐘賞 新人女優賞
●韓国・青龍映画賞 新人男優賞、新人女優賞
●東京フィルメックス 最優秀作品賞(グランプリ)、観客賞
(2009.12.10現在)
2010年4月5日月曜日
食べるラー油 競演!
最近品薄であった桃屋の「辛そうで辛くない少し辛いラー油」(既に愛用)を妻が入手した。
ついでに対抗商品としてヱスビーがだした「ぶっかけおかずラー油」も買ってきた。でかした!と褒め早速試食した。
大きくは変わらない、桃屋がフライドガーリックとオニオンであるのに対し、ヱスビーの工夫はアーモンドが入っていることのようだ。工夫の手柄は確かにあって香ばしさとコクを獲得しているように思う。総合点は僅差で桃屋に上げておくが当分食べ比べてみようか。
一つの茶わんに二つのラー油を乗せて食べる幸せは左右に美女を侍らす如し。(大袈裟か)
2010年4月4日日曜日
映画 「空気人形」
ギンレイホールで見そびれて、結局TUTAYAのお世話になった。
原作が自虐の詩の業田良家、是枝監督、脇に岩松了というだけで釣られた。
カンヌ映画祭で「ある視点」部門に参加。最近は高崎映画祭で五冠の快挙?らしい。オダギリジョーが受賞の挨拶で「高崎ハムが好きです」と言っていたのが印象的だった。
空気人形は型落ちのダッチワイフ。ある日心を持つ。
持ち主が仕事に出かけた後、出歩きビデオショップでアルバイトを始める。そこの店員と恋に落ちて・・とこれ以上はネタバレか。
ぺ・ドゥナは確かに完璧なキャスティングだ。ほかにこの役をデキルのはと考えたがいないなあ。
繊細で人形っぽくて、身体が美しい。きょとんとした目がカナシミにも抑制を利かせていて素晴らしい。こんな人形なら一体欲しい。
持ち主役の板尾創路も完璧に都会の独居男を表現している。お笑い芸人を超えた気持ち悪さは置くが深い。岩松了はどうしてこんなに巧いのかと思うがしかし、こんな役ばっかりだなあ。大好きな余貴美子がアンチエイジング狂の受付嬢だったり富司純子がボケ老人役で出ていたり・・そういったところは楽しいし好感が持てるが、一方ではやりすぎなところはあるし、皆が演じている都会の孤独みたいなもののメタファーはちょいと浅いような気もする。助演男優賞のオダギリジョーの出てくる場面はちょっと面映い感じだなあ。
この映画の眼目は全体に薄青い感じの映像美。本当の人形とぺ・ドゥナの身体の入れ替わるところのせつなさ。ラブシーンで男に空気を満たされていくときの人形の至福とも苦痛とも言えない表情に尽きると思った。
★★★★☆・・・かな
花片や空気人形棄てられて
原作が自虐の詩の業田良家、是枝監督、脇に岩松了というだけで釣られた。
カンヌ映画祭で「ある視点」部門に参加。最近は高崎映画祭で五冠の快挙?らしい。オダギリジョーが受賞の挨拶で「高崎ハムが好きです」と言っていたのが印象的だった。
空気人形は型落ちのダッチワイフ。ある日心を持つ。
持ち主が仕事に出かけた後、出歩きビデオショップでアルバイトを始める。そこの店員と恋に落ちて・・とこれ以上はネタバレか。
ぺ・ドゥナは確かに完璧なキャスティングだ。ほかにこの役をデキルのはと考えたがいないなあ。
繊細で人形っぽくて、身体が美しい。きょとんとした目がカナシミにも抑制を利かせていて素晴らしい。こんな人形なら一体欲しい。
持ち主役の板尾創路も完璧に都会の独居男を表現している。お笑い芸人を超えた気持ち悪さは置くが深い。岩松了はどうしてこんなに巧いのかと思うがしかし、こんな役ばっかりだなあ。大好きな余貴美子がアンチエイジング狂の受付嬢だったり富司純子がボケ老人役で出ていたり・・そういったところは楽しいし好感が持てるが、一方ではやりすぎなところはあるし、皆が演じている都会の孤独みたいなもののメタファーはちょいと浅いような気もする。助演男優賞のオダギリジョーの出てくる場面はちょっと面映い感じだなあ。
この映画の眼目は全体に薄青い感じの映像美。本当の人形とぺ・ドゥナの身体の入れ替わるところのせつなさ。ラブシーンで男に空気を満たされていくときの人形の至福とも苦痛とも言えない表情に尽きると思った。
★★★★☆・・・かな
花片や空気人形棄てられて
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