櫻桃庵はわが弊屋のことです。小さな庭に植えた苗木がいつの間にか大きくなりました。俳句や本や映画や友達のことなんかをぽつぽつ書く日記です。 2007年から2010年までmixiに引っ越していたため更新できておりませんでしたが、此方も少しずつ書いていきます。

2007年2月12日月曜日

アケタの店ライブ(蜂谷真紀)


昨日11日はアケタの店http://www.aketa.org/ で 廣木光一(g)有明のぶ子(vib)蜂谷真紀(vo)吉野弘志(b)を聴いてきました。 飯田橋RagTimeに出演している蜂谷真紀さんが難曲にボイスで挑戦!といわれたのを、早い夕飯を食べながら思い出し、家人には「ちょっとガソリンをいれてくる。」といい置いて一路西荻窪へ。

蜂谷さんという人は、すごい!その技術も、音楽性も、休憩時間の食欲もどれをとっても一流ですが、挑戦すること、新しみを求めていく心の強さには毎回驚きます。一所にとどまらず、出来上がった自分を壊して行く破壊力をはすんごい。さまざまなタイプのミュージシャンとの競演もどんどん新しい蜂谷真紀がうまれていきます。今回もレニー・トリスターノ、リーコニッツのクールで硬質な曲を見事に「新しく」していました。

アケタの店は相変わらず汚なかったですが、良い方向に磨きがかかっていているように感じました。
帰りに近くに夜中までやっている古本屋や「卓球酒場」などという奇天烈なものを発見!西荻窪は奥が深いですなあ。
<蜂谷真紀HP>

2007年2月11日日曜日

初めての俳句

凍星に沈みて吾の一人かな

これが生まれて初めて作った句です。稚拙な句なりに愛しています。
入門書を買って「どうも季語というのもが必要だ」「その季節にあった自然を織り込んだ句を作るべし」「旧かなで作るのが普通」というところまで読んで、乱暴にも「とにかく作ろう」と思いました。このテンションのあがっているときに何かしないとすぐ醒めるのは経験的に知っている自分の性格であります。

その日の帰り、いつものように深夜の駅をでて、人気の絶えた畑道を「なんかつくるぞ」とぶつぶつ繰り返しながら自転車を転がしていました。 ふと見上げると田舎だけあって満天の星空が見えます。いつもは下を向いてキコキコ漕いでいるので気付きもしないのですが、このときは「都心では見れんなあ」と感心した気分になったわけです。それも寒くて空気が澄んでいるのでコントラストばっちり。何か夜の空が大きな湖で自分が底に蠢いているミジンコのような気がしてきました。たぶん無意識に句の材料を探していたのでそんな題材にも少しの感動を覚えたのかもしれません。とりあえずその状況を「星の海の底でおいらはさびしいな」とかいいながら17文字にはめこもうと片手運転をしながら指折り数えて家までたどりつきました。
夜食の柿ピーをたべながら歳時記の冬の項をめくり、それらしい季語をさがすと星に関連するものが結構あります。「凍星」・・・なんかいい感じだなあ。(いてぼしとは読めずトウセイ?なんておもっていたのですが・・・)あとは適当に並べ替えて、かな使いを直して、「さびしいな」を「孤独」とか「独り」とか入れ替えて最後に「かな」をつけておしまい。
うん!できたじゃん。・・・とこのようにかなりイージーに出来上がった句であります。「あ、星がきれいだ」「おれはこんな田舎道を夜中に歩いていてさみしいなあ」という気分がとにかく詩になったのだから良しとしました。

俳句をはじめる

そもそもあまり俳句なぞというものに興味はありませんでした。古文の授業で申し訳程度にやったきりで、奥の細道もどこが良いのかさっぱり。(それは今でも変わっていませんが・・・。)
だいいちイメージからしてダサい。なんだか円筒形の帽子をかぶったお爺さんが、「むむ!一句浮かんだ」なんていいながら長細い紙にさーらさーらと筆で書き付けるイメージで、どうみても「いい若し衆がやるものではない。」とかなり類型的でかつゆがんだ見方をしていました。
そんな私が2005年の12月頃に、行きつけの喫茶店RagTimeで一冊の句集を手に取りました。そこでよくライブをしているヴォーカリストの旦那さんが自費出版したものだったのですが、「プラネタリウムの夜」というその本は、絵と俳句が1ページにセットになっていてポップな感じでひきつけられました。こういうものなら自分も作ってみたい。まぜかすぐにそう思ってしまいました。
さっそくその句集を手に入れ、さらにかなりシンプルな入門書を購入、そのはじめに書いてあった必須アイテムである「歳時記」を手に入れます。これで俳句人口が一人増えたわけです。