前回の日記から時間がたってしまいましたが、一ノ関の翌日です。
朝早い電車で平泉へ。意外と近いですね。
ホテルでご飯を食べずに土地のものを食べよう! と出てきたのですが早すぎて名物のわんこそばもふくめ何処もあいていません。 結局駅の売店でアンパンと牛乳です。
さて、気を取り直し雨の平泉を堪能です。 駅からまず線路を超えて北上川の方に進みます。 伽羅の御所 柳の御所 といった遺跡が発見されたところです。今は住宅地になっていたり、土手沿いの畑になっていたりして当時の建物は何もありません。 昔の政庁だったようですが、雑草だけが枯れかかった雨の遺跡はなかなか虚無感が漂っております。
そのまま上がっていくと、義経終焉の地といわれる高館義経堂(たかだちぎけいどう)です。結構狭い高台で雨で水溜りだらけの階段を上ると義経を祭った小さな社と芭蕉の句碑「夏草や兵どもが夢の跡」があります。眼下には北上川が800年も姿を変えずに、義経が死に藤原氏が滅亡しても「そんなのかんけーねー」とけぶっております。
そこから中尊寺までは結構ありましたが靴の中をカポカポになるまでぬらしながら歩いてみました。 中尊寺は結構また高台にありへろへろになりましたが、一足早い紅葉が盛りで、また雨に濡れて鮮やかになり靴までぬらした甲斐をやっと感じました。 こんどは芭蕉像があり「五月雨も降り残してや光堂」の句碑です。 わたしはどうも当時の芭蕉のように藤原氏に同情も出来ない所為か、金色堂もなんかやーらしーなーと思ってしまいました。 自分たちの四代の墓を金ぴかにして、この世の極楽を体現しようと言うのは何処でも王様になるとするのでしょうが、権力者の木乃伊の飾りをありがたがるのはちょっとなーと思う天邪鬼であります。 むしろお役ご免になった鞘堂(金色堂を保護する一まわり大きいお堂)が移築されているのがものの哀れを感じさせられました。
山を下って毛越寺(もうつうじ)にいたります。ここも広い!京の都にあるものより一寸でもでっかく豪華にといった見栄がこの寺院を作ったのでしょうがここまで来るともう、北の独立国の朝廷を感じます。 そーだ御所っていってたもんなあ。 ここの紅葉も素晴らしく多くの若くないアベックが感嘆しながら散策しておられました。 (翌日はピーカンに晴れて列島縦断俳句スペシャルやってました。小川軽舟さんなんかもいてTVみながら地団駄踏みました。)
公孫樹黄葉高館に川見下ろせり
朝霧や北上川の曲がりたる
秋の川廃墟の角を曲がりけり
びしょびしょに濡れて紅葉の義経堂
高館の坂降りけり帰り花
みちのくの訛り添ひ来る初時雨
中尊寺紅葉の坂をうつぶきて
あさましや金色堂の大野分
鞘堂のからつぽに落つ紅葉かな
芭蕉像とどまってゐる秋の道
葬の客紅葉の客を毛越寺
坊跡の紅葉盛りとなりにけり
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