桃の花は雛祭りには欠かせないアイテムです。女の子のお祝いらしい華やかさがありますねえ。 また反面、桜の儚さ梅の清明さとは違い、やや甘い鬱陶しさを感じます。中国では邪を祓うとか、桃源郷とか、結構格調高く位置づけされているようです。桃の実の豊潤さからエロティックな連想も出てまいります。
通常開花時期は雛祭りをする3月上旬には間に合いません。見頃は旧暦の計算ならちょうどあったのでしょうが、現行暦でいうと約一ヶ月遅れの4月中旬です。 どうしているのか輸入品か暖かい部屋で枝だけを咲かせてしまうテクニックがあるのでしょうか。
睦言に飽ひてしまつて桃の花
櫻桃庵はわが弊屋のことです。小さな庭に植えた苗木がいつの間にか大きくなりました。俳句や本や映画や友達のことなんかをぽつぽつ書く日記です。 2007年から2010年までmixiに引っ越していたため更新できておりませんでしたが、此方も少しずつ書いていきます。
2007年3月8日木曜日
句会の楽しみ
句会の楽しみは格別です。定期的に句友と集い、持ち寄った句またその場で詠んだ句を互選して味わって、褒めて、たまには貶します。場合によっていは酒食を共にし、おいしい時間を過ごします。
俳句を純粋芸術ではなく第2芸術といった人がおりますが、それも結構。純粋という小説や絵画をもちよって楽しい夜(昼でもよいのですが・・)を過ごすことはなかなかできないでしょう。楽しく遊ぶ、でも真剣に遊ぶということができるなら二流でも三流でもよいです。俳句に命を賭けている専門俳人の方には怒られるかもしれませんがそれほど麻薬的な楽しさであります。
私が通っている句会は学生から壮年まで、専門家も私のような一年生もいるというかなりバライティに富んだメンバーですが、お互いを尊重しながらまったくの対等、平等な関係です。出入りも自由な空気は、仕事がらみの利害や上下関係でがんじがらめの心を解してくれます。そして驚くほど新鮮な気持ちになって遊んでいるにもかかわらず学ぶことができます。俳句を始めようとしている方はとにかく句会に参加されたらきっと楽しいですよ!
俳句を純粋芸術ではなく第2芸術といった人がおりますが、それも結構。純粋という小説や絵画をもちよって楽しい夜(昼でもよいのですが・・)を過ごすことはなかなかできないでしょう。楽しく遊ぶ、でも真剣に遊ぶということができるなら二流でも三流でもよいです。俳句に命を賭けている専門俳人の方には怒られるかもしれませんがそれほど麻薬的な楽しさであります。
私が通っている句会は学生から壮年まで、専門家も私のような一年生もいるというかなりバライティに富んだメンバーですが、お互いを尊重しながらまったくの対等、平等な関係です。出入りも自由な空気は、仕事がらみの利害や上下関係でがんじがらめの心を解してくれます。そして驚くほど新鮮な気持ちになって遊んでいるにもかかわらず学ぶことができます。俳句を始めようとしている方はとにかく句会に参加されたらきっと楽しいですよ!
2007年3月6日火曜日
ギンレイホール
私の働く東京の飯田橋というところには、ギンレイホールという名画座があります。名画座などというジャンルを若い人は知らないでしょうが、20年位前まではロードショーが終わったものや、名実ともに名画といわれたものを安く2本立て3本立てで観せていたものです。せんべいの臭いとタバコの煙(禁煙なんて守る客のほうが少なかったのです)が立ち込めて、椅子も固かったですが、貧乏学生の娯楽の一つで一年間で100本の映画を観ることに挑戦したりしました。「カサブランカ」も「追憶」もみんなそんな名画座で知りました。衰退したのはビデオデッキの普及とレンタルショップの繁栄が理由でしょうが、手軽さの代償に劇場で味わう臨場感は手放してしまったのでしょうね。ギンレイはそういった情勢の中で貴重な映画館です。今は名画座的な部分と単館ロードショー的な部分で若い世代も取り込んだり、年間パスポートを発行したりとか意欲的に生き残ろうとしています。今週は「手紙」と「紙屋悦子の青春」がかかっています。
2007年3月3日土曜日
2007年2月12日月曜日
アケタの店ライブ(蜂谷真紀)

昨日11日はアケタの店http://www.aketa.org/ で 廣木光一(g)有明のぶ子(vib)蜂谷真紀(vo)吉野弘志(b)を聴いてきました。 飯田橋RagTimeに出演している蜂谷真紀さんが難曲にボイスで挑戦!といわれたのを、早い夕飯を食べながら思い出し、家人には「ちょっとガソリンをいれてくる。」といい置いて一路西荻窪へ。
蜂谷さんという人は、すごい!その技術も、音楽性も、休憩時間の食欲もどれをとっても一流ですが、挑戦すること、新しみを求めていく心の強さには毎回驚きます。一所にとどまらず、出来上がった自分を壊して行く破壊力をはすんごい。さまざまなタイプのミュージシャンとの競演もどんどん新しい蜂谷真紀がうまれていきます。今回もレニー・トリスターノ、リーコニッツのクールで硬質な曲を見事に「新しく」していました。
アケタの店は相変わらず汚なかったですが、良い方向に磨きがかかっていているように感じました。
帰りに近くに夜中までやっている古本屋や「卓球酒場」などという奇天烈なものを発見!西荻窪は奥が深いですなあ。
蜂谷さんという人は、すごい!その技術も、音楽性も、休憩時間の食欲もどれをとっても一流ですが、挑戦すること、新しみを求めていく心の強さには毎回驚きます。一所にとどまらず、出来上がった自分を壊して行く破壊力をはすんごい。さまざまなタイプのミュージシャンとの競演もどんどん新しい蜂谷真紀がうまれていきます。今回もレニー・トリスターノ、リーコニッツのクールで硬質な曲を見事に「新しく」していました。
アケタの店は相変わらず汚なかったですが、良い方向に磨きがかかっていているように感じました。
帰りに近くに夜中までやっている古本屋や「卓球酒場」などという奇天烈なものを発見!西荻窪は奥が深いですなあ。
<蜂谷真紀HP>
2007年2月11日日曜日
初めての俳句
凍星に沈みて吾の一人かな
これが生まれて初めて作った句です。稚拙な句なりに愛しています。
入門書を買って「どうも季語というのもが必要だ」「その季節にあった自然を織り込んだ句を作るべし」「旧かなで作るのが普通」というところまで読んで、乱暴にも「とにかく作ろう」と思いました。このテンションのあがっているときに何かしないとすぐ醒めるのは経験的に知っている自分の性格であります。
その日の帰り、いつものように深夜の駅をでて、人気の絶えた畑道を「なんかつくるぞ」とぶつぶつ繰り返しながら自転車を転がしていました。 ふと見上げると田舎だけあって満天の星空が見えます。いつもは下を向いてキコキコ漕いでいるので気付きもしないのですが、このときは「都心では見れんなあ」と感心した気分になったわけです。それも寒くて空気が澄んでいるのでコントラストばっちり。何か夜の空が大きな湖で自分が底に蠢いているミジンコのような気がしてきました。たぶん無意識に句の材料を探していたのでそんな題材にも少しの感動を覚えたのかもしれません。とりあえずその状況を「星の海の底でおいらはさびしいな」とかいいながら17文字にはめこもうと片手運転をしながら指折り数えて家までたどりつきました。
夜食の柿ピーをたべながら歳時記の冬の項をめくり、それらしい季語をさがすと星に関連するものが結構あります。「凍星」・・・なんかいい感じだなあ。(いてぼしとは読めずトウセイ?なんておもっていたのですが・・・)あとは適当に並べ替えて、かな使いを直して、「さびしいな」を「孤独」とか「独り」とか入れ替えて最後に「かな」をつけておしまい。
うん!できたじゃん。・・・とこのようにかなりイージーに出来上がった句であります。「あ、星がきれいだ」「おれはこんな田舎道を夜中に歩いていてさみしいなあ」という気分がとにかく詩になったのだから良しとしました。
これが生まれて初めて作った句です。稚拙な句なりに愛しています。
入門書を買って「どうも季語というのもが必要だ」「その季節にあった自然を織り込んだ句を作るべし」「旧かなで作るのが普通」というところまで読んで、乱暴にも「とにかく作ろう」と思いました。このテンションのあがっているときに何かしないとすぐ醒めるのは経験的に知っている自分の性格であります。
その日の帰り、いつものように深夜の駅をでて、人気の絶えた畑道を「なんかつくるぞ」とぶつぶつ繰り返しながら自転車を転がしていました。 ふと見上げると田舎だけあって満天の星空が見えます。いつもは下を向いてキコキコ漕いでいるので気付きもしないのですが、このときは「都心では見れんなあ」と感心した気分になったわけです。それも寒くて空気が澄んでいるのでコントラストばっちり。何か夜の空が大きな湖で自分が底に蠢いているミジンコのような気がしてきました。たぶん無意識に句の材料を探していたのでそんな題材にも少しの感動を覚えたのかもしれません。とりあえずその状況を「星の海の底でおいらはさびしいな」とかいいながら17文字にはめこもうと片手運転をしながら指折り数えて家までたどりつきました。
夜食の柿ピーをたべながら歳時記の冬の項をめくり、それらしい季語をさがすと星に関連するものが結構あります。「凍星」・・・なんかいい感じだなあ。(いてぼしとは読めずトウセイ?なんておもっていたのですが・・・)あとは適当に並べ替えて、かな使いを直して、「さびしいな」を「孤独」とか「独り」とか入れ替えて最後に「かな」をつけておしまい。
うん!できたじゃん。・・・とこのようにかなりイージーに出来上がった句であります。「あ、星がきれいだ」「おれはこんな田舎道を夜中に歩いていてさみしいなあ」という気分がとにかく詩になったのだから良しとしました。
俳句をはじめる
そもそもあまり俳句なぞというものに興味はありませんでした。古文の授業で申し訳程度にやったきりで、奥の細道もどこが良いのかさっぱり。(それは今でも変わっていませんが・・・。)
だいいちイメージからしてダサい。なんだか円筒形の帽子をかぶったお爺さんが、「むむ!一句浮かんだ」なんていいながら長細い紙にさーらさーらと筆で書き付けるイメージで、どうみても「いい若し衆がやるものではない。」とかなり類型的でかつゆがんだ見方をしていました。
そんな私が2005年の12月頃に、行きつけの喫茶店RagTimeで一冊の句集を手に取りました。そこでよくライブをしているヴォーカリストの旦那さんが自費出版したものだったのですが、「プラネタリウムの夜」というその本は、絵と俳句が1ページにセットになっていてポップな感じでひきつけられました。こういうものなら自分も作ってみたい。まぜかすぐにそう思ってしまいました。
さっそくその句集を手に入れ、さらにかなりシンプルな入門書を購入、そのはじめに書いてあった必須アイテムである「歳時記」を手に入れます。これで俳句人口が一人増えたわけです。
だいいちイメージからしてダサい。なんだか円筒形の帽子をかぶったお爺さんが、「むむ!一句浮かんだ」なんていいながら長細い紙にさーらさーらと筆で書き付けるイメージで、どうみても「いい若し衆がやるものではない。」とかなり類型的でかつゆがんだ見方をしていました。
そんな私が2005年の12月頃に、行きつけの喫茶店RagTimeで一冊の句集を手に取りました。そこでよくライブをしているヴォーカリストの旦那さんが自費出版したものだったのですが、「プラネタリウムの夜」というその本は、絵と俳句が1ページにセットになっていてポップな感じでひきつけられました。こういうものなら自分も作ってみたい。まぜかすぐにそう思ってしまいました。
さっそくその句集を手に入れ、さらにかなりシンプルな入門書を購入、そのはじめに書いてあった必須アイテムである「歳時記」を手に入れます。これで俳句人口が一人増えたわけです。
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